昔に比べて、最近とみに変わったのが死生観だなーと思った。
昨年母を亡くし、今年は義父を亡くし、それに震災が追い打ちをかけ、私の「死」に対する思いが余計変わったのかもしれない。
被災地を直接見たのも、大きく影響している。
住民8000人の内、その1割の800人が亡くなった名取市閖上地区、遺体が200~300体見つかったという仙台若林区、そこで見た光景は想像を絶する恐ろしい世界だった。
いきなり断ち切られる日常。
もう決して逢うことが出来ない愛しい家族。
死は余りにもあっけない。
前は「死」は遠いものだった。
否が応でも身近に感じてしまう今は、寧ろ生かされてる不思議に思いを巡らせる。
いつかは自分も含めみんな死んでいく。
誰かが急にいなくなり、ぽっかりと空いたその空虚さは、とてもとても残酷な風景なんだよな。
今日、チビクロウが通っている母子通の子が急に亡くなったと聞いた。
誕生日のすぐ後で、まだ6歳になったばかり。
親御さんの心境はいかばかりか・・・。
考えるだけで胸が痛む。
いつかは死んでしまうのだから、今を精一杯生きる・・・と言うより、歳を追うごとに積み重なっていく「死」を抱えながらそれでも生きていく、というのが今の自分の思いか。
ドラマ『JIN』の
「見えんでも、聞こえんでも、おるぜよ」
そんな言葉を思い出して、目頭が熱くなっている・・・・・・。
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