岩沼市役所を出てからは、再度北へ戻って名取市へ。
昨年視察した閖上地区を、もう一度見たいと思っていた。
閖上小学校方面から、閖上歩道橋を臨む。
閖上大橋。
閖上大橋から見た、名取川河口付近。
昨年もあった半壊の家屋がまだそこに残されていたりしたけど、川沿いの畑には新しいビニールハウスが作られ、中で作業されてる方も見受けられた。
心和む風景に、少し目頭が熱くなる。
運転してたのでその写真が撮れなかったのが、甚だ残念だ。うー。
閖上大橋を往復し、歩道橋から閖上中学校~日和山へ。
閖上中学校の周りはかなり取り壊されて、駐在所やCOOPも無くなっていた。
途中の閖上消防署はまだ残されていたが、公民館、市営住宅等も撤去されている。
閖上日和山。
日和山から見た閖上地区
昨年来た時は多くの重機とダンプカーが動いていて物々しい雰囲気だったが、今年は何と静かなことか。
驚いたのは、昨年重機の退避場所として10mの人工山が作られていた場所が、駐車場になっていたこと。
駐車場にはバスが停まり、端には簡易トイレまで設置されていた。
最近では、ちょっとした観光地のようになっている、と近隣の方から伺った話を思い出した。
観光という表現が適切かどうか判らないが、多くの方が訪れその場を悼み思いを馳せるとするならば、原爆ドームが平和への象徴となったように、自然災害への祈りの象徴としてあるべき姿になるのでは、とそんな風に思う。
笹かまで有名な佐々直の工場。取り壊されず、そこに建っていた。
その閖上地区を後にしてからは、5キロほど隣の仙台空港へ。
先ほどの千年希望の丘の視察でも相の釜地区と仙台空港周辺をご案内いただいたのだが、空港内に入ったことが無かったのでもう一度行ってみた。
空港内から屋上展望フロアまで行ってみることに。
震災時、セスナ機や車が一気に押し流された滑走路。米空軍のトモダチ作戦により、僅か1ヶ月で使用可能となった。
仙台空港から仙台大観音を臨む
「観音様が見える」「えー、うそ?!」ということで見てみたら本当に観音様がいた。高崎よりも大きいらしい。(当然か)
遠くに見える高層ビル街が仙台市内だ。
太平洋側。海がとても近い。
岩沼、亘理、山元町方向。亘理町、山元町も仙台平野にあり、津波被害がとてもひどかったところだ。
空港のエスカレーターにある津波浸水高の表示。空港1階部分天井にまで達する高さだ。
仙台空港前景。
この仙台空港を最後に、被災地めぐりの旅は終わった。
募金を届けがてらの旅行になってしまったが、この目であちこちの被災地を見ることが出来て本当に良かったと思っている。
たかだか数時間で行けてしまう距離で起こった不幸な災害。
被災した当日の朝は、誰だって自分が数時間後に災害に巻き込まれるなんて思いもしなかったろう。
それは私だって同じなのだ。
たまたまそこに住んでいたから、働いていたから、で、それは等しく誰の身にも起こっても不思議じゃないこと。
そう思うと本当に他人事ではなく、自分のこととして捉えられる。
「被災地には行ってみたいけど、なかなか行けないんだよね」そんな声を聞いたりするが、行ってみたいと思った人は、ぜひ一度行ってみることをお勧めする。
報道で見るより、自分のこの目で見て空気を感じることの大切さ、それを実感するだろう。
私も、また東北へは必ず行きます!
サマフェスも続けるぞ!
今回、旅を共にした3人です。みんなお疲れさまでしたー!
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