もうすぐ1か月が経ってしまうが、先月9月29日にぷぅる家の第三子が誕生した。
本当はもっと早く書きたかったのだけど、パパ大惨事の出来事があり今頃に・・・。
上がったり下がったりのジェットコースターのような日々だった。
29日午後、手術室に向かうぷぅる。私の妹と姪っ子が激励に来た。
手術室に入って約1時間後、赤ちゃんが保育器に入って先に出てきた。
2988gの元気な男の子。
みんなで取り囲み歓声を上げる。
エリツィーやマナトもお見舞いに。
ぷぅるが入院中、ニコちゃんは我が家にて過ごす。
毎日お利口さんだったね、いろいろ我慢したかな?
赤ちゃんのHNはぷぅると相談してりあじろうと命名。本名は永遠に秘密w
ぷぅるとりあじろう退院の日がももりんの運動会と一緒だったため、全員が我が家に揃った。
なのでみんなで記念写真♪
家族5人、みんなでお家に帰れて良かったね。
皆が帰った後、私とパパはこっそり慰労会でスーパー銭湯へ。
パパはここのお風呂で盛大に転び、腰を強打したとか。
思えばこの辺りからパパの不運が始まったのかもしれない。
この翌々日、寝る前にパパが「血便が出た」と訴えてきた。
症状は血便だけなので様子を見ることにして、そのまま就寝。
翌朝は何とも無かったのでパパは普通に会社へ行った。
私はぷぅるのところへ手伝いに行く予定だったので支度して家を出る・・・
・・・という時にパパから電話があり、「結構な量の血便が出た」とのことで、仕事を中抜けして病院へ行くよう話し、私も待っていようと思ったが、パパが「ぷぅるのところへ行った方がいい」、というので私はそのまま出掛けたのだった。
で、1時間近く走ったところでパパから再度電話。
「もしもし、どうだった?」と聞くも、電話の向こうの声の主は女性で、しかも近所の人からだ。
「もしもし、ご主人が大変なんですよ!倒れて今救急車呼んだから!!」
医者に行こうとしていたパパは、行く途中で具合が悪くなり、まずは家に帰って休もうとしたらしい。
駐車場で車を降りた途端意識が薄れて倒れたという。
もう驚いたなんでもんじゃない・・・すぐ戻ることを伝え車を走らせた。
戻る途中救急隊員からも電話が来て搬送先の病院を教えてくれたので、行先は病院へ変更だ。
50分ほどして病院へ駆け込むと、パパは処置真っ最中で会うことはできなかった。
そのうち救急隊員が来てあれやこれやと聞かれる。
「これ旦那さんが着てた物です」と手渡されたのはビニール袋に入った靴とズボン。
シャツやパンツは処置をするときハサミで切ってしまったという。
ズボンは血でグッショリ濡れていた・・・。
ようやく部屋へ入れてもらった時のパパの様子。
血圧が上が70しかなく一時ショック状態だったとか。
それでも意識はあり、写真を撮ってほしいと言ったのがこの一枚だ。ヒェェエ
医師からは「このまま入院です」と告げられた。当然だ。
O157の疑いもあるとかで、個室で面会謝絶。
部屋に入るときはエプロン、マスク、手袋をつけての重装備となった。
炎症反応はあるが感染は無かったので、2日後には大部屋へ。
と思ったら再度の大量出血でまた個室へ逆戻りとなる。
血圧低下と悪心、サチュレーションの低下で心電図と酸素をつける重症患者に舞い戻ってしまった。
この直後にたかさき雷舞が控えており、出ようかどうしようかかなり迷う。
ミキティーは「やめよう」、と言った。
一日待って悪化するようであれば、私も今回はあきらめようと思った。
しかし、回復してきたのを見て、思い切って出ることにしたのだった。
(その時の記事は↓に)
その後は出血もなく順調に回復。
御見舞に来てくれた千紫万紅のみんな。
病室は7階だったから眺めが良かった。
そして2週間後の24日に無事退院。
一時はどうなるかと思ったけど、無事シャバに出られて良かったね。
絶食~低残渣食のお蔭か、体重は6キロ減ったとか。
食事療法はまだまだ続くので、体重もこれでキープしなきゃだね。
病名は2か月後の大腸スコープでハッキリするだろうが、今のところ大腸憩室炎による憩室出血らしい。
再発もあるとのことなので、当分は気をつけて生活しなければいけない。
本人曰く「人生何が起こるか判らない」。
ホントだよね。
肝に銘じて、また歩き出しまっせ。
最後に、おっぱいごくごく飲んで凄い成長っぷりのりあじろうくんを♪
ご心配頂いた皆様、お気遣いしてくださった皆様、ありがとうございました。