私は、なぜ同じことを繰り返してしまうのか・・・。
自分なりに考えてみた。
なぜ甘く見られてしまうのか。
なぜいいように使われてしまうのか。
なぜ言われたい放題になってしまうのか。
一番大変な部分を喜んで引き受け、
真っ当な評価ももらえず、
人が良すぎると言われ続けた・・・。
今日も、あるスタッフが辞めると騒ぎ、その理由が「木蓮さんが私を引き止めないからだ」ということだった。
他の面接を受けて決めてしまったと言う人を引き止めて何になろう。
その人の判断だし、その人の人生なのだから、私が引き止める理由もないので何も言わなかっただけだ。
その人は、私が引き止めれば考え直したはずだった、と言った。
すっかり私が悪者になってる・・・。
それに対しても私は何も言わなかった。
言っても無駄だから・・・・。
また、どんなにボランティアでやろうと、お金がかかる方を尊重され、タダの私は軽く扱われてしまうこの不条理。
それに甘んじてしまうから、益々相手をつけ上がらせてしまう・・・。
問題は周りの態度ではないと思った。
私の性格がそういう人たちを呼び寄せてしまうのだと、今更ながらに気づいたのだった。
私が自分のせいにし過ぎるのも一因。
いくら自分のやり方が悪かったからといって、全てが私の責任じゃない。
それを言ってしまうから、周りのずるい人たちは「逃げ」ができるのだ。
私も、そこで相手を責めればいいものを、自分のことに転嫁してしまうから、相手に逃げられてしまう。
自分のせいにすることで、私も相手と対決しなくてすむ。
実は私も逃げていたのだ。
今私に必要なことは、ちゃんと相手に自分の意見を言うこと。
嫌味を言われたら、笑って受け流すのでなく、「そういう言い方は嫌いだ。私の前では使わないでくれ」とハッキリ言うことなのだ。
確かに、それで場はシラけるか、相手はムッとするだろう。
でもそんなことを言う相手に気を使うことなど、本当は必要ないのだ。
万人に好かれたいと思うから苦しくなる。
物分りの良いトレーナーでいようと思うから、相手に縛られてしまう。
期待に応える先生でいようと思うから、振り回されてしまう。
今、いろんな問題が顕在化してきているのは、これまで逃げてきたツケが一気に出てきたからだと思っている。
ツケを払うときが来たのだ。
失うものが多くなっても、その分、身が軽くなると思えば良いこと。
軽くしろ、と神様が言ってるのかもしれない。
乗り越えるべき課題は見えたのだ。
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