今日は親子3人でセンチメンタルジャーニー。
・・・・・・のはずが相変わらずの珍道中になってしまったとさ(笑)。
とある金融機関から、母の通帳が暫く使われてない、との連絡が来たのが先週末。
で、昨日の昼間その金融機関に出向き、いろいろ話を聞いてきた。
口座を解約するのに、何と故人の出生から亡くなるまでの全転籍・除籍の謄本が必要、とのこと。
何故ソコまでのが必要なのかと尋ねたら、途中で養子縁組があったりすると相続に関係するから全部調べなければならない、ということだった。
・・・・で、今日、父と妹と私の3人で、母の生まれ故郷栃木へと出向くことになったという訳。
10時に家を出て、途中寄り道しながら到着したのは12時過ぎ。
エプロンを着けた係の女性が「全部で3通あります」と、除籍謄本を出してくれた。
その最初の謄本を見て、マジ驚愕!!
1行目には、
明治四拾四年四月壱日○○(名字は伏せます)イクト婚姻届出明治四拾四年四月壱日受附
と書かれており、主戸前に○○(母の旧姓)善治とあった。
その次には、
明治四拾四年四月拾貳日前戸主善治隠居ニ因リ家督相続届出同日受付
の文字。
主戸は○○幸作となっていた。
これを見る限り、私の曾々祖父が隠居して曾祖父に家督を譲った、ということだ。
どうも曾祖母のイクと曾祖父である幸作の入籍が明治44年4月1日で、11日後の4月12日に家督を受け継いだらしい。
うーん、ザッと見でも100年前の出来事。
母の生まれた時の戸籍を調べると、100年も前に遡ってしまうのが驚きだ。
この幸作・イク夫妻の間に生まれた長男が私の祖父弥(←この旧字体なのだが出ない!)作、その弥作が昭和15年に入籍したのが祖母であるトク。
そして同年10月に「孫」の記載で母が登場するのである。
曾祖父幸作が生まれたのは明治16年(1883年)、ということは曾々祖父善治の出生は少なくとも江戸時代になるわけだ。いやはやビックリ・・・・。
思わぬところで自分のルーツが発覚し、読んだ後は暫し興奮状態。
母の生家の代々の記載はもちろん、曾祖母、祖母の旧姓までキッチリと載っており、ちょっと感動すら覚えた。
そう言えば、私が2歳頃まで曾祖母イクは生きていたとのこと。
「覚えてないだろうけど、2歳頃までひいおばあちゃんは生きてたんだよ」
母が言ってたのを思い出す・・・・・。
マナトやチビクロウから数えて直系6代、約150年の歴史。
口座解約の手続きは、祖先捜しの旅でもあったのだった。
そんな感慨に浸りながら、帰りは少々観光を(笑)。
蔵の街栃木の市内を流れる巴波川(うずまがわ)。数え切れないほどの鯉のぼりが掲げられ、見事な眺めとなっている。
「ねぇぇぇ、撮って撮って、ブログに載せてぇぇ」と騒いでいた妹。はい、載せたよん(爆)。
そんな私は父と一緒に。・・・出たがりではないので控えめに。(大嘘)
身近で歴史を遡る・・・・・母のお陰で本当に良い経験が出来た。
改めて感謝、なのだ。
前にも載せたが、私と祖母トクの写真がこちら↓である。うーん・・感慨深い。
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