あの人は要領がよい、とか。
あの人は狡賢い、とか。
あの人は嘘をつく、とか。
自分の中で許せない人、イライラさせられる人、にどれだけ自分が振り回されているか。
でもその人を捕まえて説教したところで、何も変わらないことが多い・・・どころか逆に自分が悪者になっていて理不尽な思いをすることだってある。
他人が自分の思うとおりに変わるはずなど無い。
他人の中に不満を見つけてしまう自分に、実は問題があったりするのだ。
仮にイライラさせられる人が普通になったとしても、イライラしてしまう自分の性癖がある限り、別の人にイライラが変わるだけだ。
どんなに要領が良い人がいても、狡賢い人がいても、切り離して考える。
要領の良い人は、確かに上手く立ち回ってるかもしれないが、いつかはやったことに対しての結果が返ってくる。
狡賢い人も、騙す人も、嘘をつく人も、それは同じこと。
この世のことは全て因果応報、投げたモノは同じように投げ返される仕組み。
要領が良い人には、要領が良いようさせておくのだ。
それが憎らしいからと、足を引っ張ったり、悪口を言ったりすれば、言った分、やった分だけ自分にも結果が返ってくるだけ。
肝心なのは、自分がその時に正しいと思うこと、必要だと思うことを淡々とやることだ。
要領が悪くとも、回り道をしようとも、良心に従ってみるのが一番イイ。
目に入って嫌な人は、視界から消すのではなく、意識から消す。
要は、気にしない、だ。
そんなことが書いてある小林正観さんの本に、私も気持ちが楽になった。
「人生は、その生き方に見合った結果が必ず返ってきて、一人の人間で『自己完結』する」
やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくていい、ただどちらを選んでも、それに見合う結果がある。
腹を立てながらいやいややっても、その自己完結は来るし、笑顔でやっても、その自己完結は来る。
さぁ、選ぶのはどっち?
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