今日映画評論家の水野晴郎さんが亡くなった。
第一報はネットのニュースで知ったのだが、その後パパからもぷぅるからも連絡が来た。
水野さんの訃報は、少なからず私にとってはショックだ。
かつて仕事でご一緒させていただいたことを思い出す・・・。
20年以上前になるが、私は映画の番組を担当していたので、水曜ロードショー(金曜ロードショーの前番組)の解説をしていらした水野さんとはよく顔を合わせていた。
松竹の大船撮影所にロケへ行ったときには、撮影所の食堂でサバの味噌煮を全部食べてもらったこともある。(私はサバが食べられないのだ!)
南青山のご自宅マンションに伺ったときは、壁一面に並べられた映画のVHSコレクションを嬉しそうに見せていただいた。
IP(インターナショナルプロモーション)映画という配給会社を持っていらして、そこで扱う映画の吹き替えにも出させていただいたのは、記念だ。(「忘れじの面影」というモノクロ映画。私はパーティ場面でのガヤガヤの一人だ。)
水野さんが映画番組のナレーションをする時は、脇についてアシストした。
私は映画オタクだったから、監督名など覚えていて重宝がられたのだった。
一番お世話になったのは結婚式の時。
会社の同僚や先輩が、はなむけとしてビデオを製作してくれた。
水曜ロードショーのオープニングをそのまま使用し、解説はもちろん水野さん。
名台詞にならって、
「いやぁー、結婚式って本当にいいもんですね。それではまた来週!」
私にとっては本当に嬉しい言葉であった。
(ちなみに私とパパのドラマ部分は原宿で撮影したのだが、AVに間違えられて参ったの何の!)
そう言えば、ダスティン・ホフマン主演1967年の映画「卒業」は、当時ユナイトの社員だった水野さんが邦題をつけたと、ご本人から伺った。
その話を聞いて以来、サウンドオブサイレンスを聴くと水野さんの顔が浮かんでくるのだった。
「これ何て監督だっけ?」
「え、食べないの?もらっちゃうよ」
気さくで優しかった水野さん。
生まれたぷぅるを見ていただく機会も無いまま、時が過ぎてしまった。
ご冥福をお祈りいたします。
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